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「中華人民共和国香港特別行政区に忠誠を尽くします」。香港立法会(議会)で今月3日、90人の議員が1人ずつ宣誓を行った。
議場正面の壁には香港の区章の代わりに、大きな中国の国章が掲げられた。
その下で宣誓文を読み上げたのは、民主派が排除された昨年12月の選挙で当選した89人の親中派と1人の中間派議員だ。
宣誓者の中に、親中派最大政党、民主建港協進連盟(民建連)副主席の周浩鼎(しゅう・こうてい、42)がいた。その選対本部で指揮を執ったのが巫成鋒(ふ・せいほう、35)である。
見違えた。少しふっくらとした顔に自信がみなぎっている。前回会ったのは2019年11月の区議会選のとき。巫は民建連から出馬し民主派候補に敗れた。
覚えている光景がある。当時は、普通選挙と「香港人による香港統治」の真の実現を求める民主派のデモが盛んな時期だった。親中派候補の巫が街頭でチラシを配っていると、さっと駆け寄って小声で言葉を掛ける支持者らがいた。悪いことでもしているかのように、周りを気にしていた。
あれから2年余り-。
「中国政府とは運命共同体です。国家が栄えれば、香港も発展する」。その主張に変わりはなかった。
「選挙で負けたときは悔しくて、これからのことが不安だった。でも新型コロナウイルスの感染が広がると、それどころではなくなり、地域の市民サービスに力を尽くしてきたのです」
巫は昨年9月、政府トップの行政長官や立法会議員の一部を選出する「選挙委員会」(定数1500)のメンバーに選ばれた。
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昨年11月下旬。香港国家安全維持法(国安法)違反の罪で起訴された民主派47人の公判を傍聴した。
国安法の裁判は、行政長官の林鄭月娥(りんてい・げつが)が指名した判事が担う。これまで政府寄りの訴訟指揮や判決が目立っていたので、廷内は静まり返っているのかと思いきや、まるで違っていた。
民主活動家の黄之鋒(25)や戴耀廷(たい・ようてい、57)ら47人が陣取る被告席と傍聴席から、弁護人の陳述に、やんややんやの歓声や拍手が送られたのだ。廷吏が注意しても騒然とした雰囲気は収まらなかった。
対照的に、香港社会は静まり返っている。
巫が敗れた区議会選で当選した民主派候補たちの中に、売れない俳優だった冼錦豪(しょう・きんごう、32)がいる。
その後、国安法の施行で民主派への締め付けが強まり、悩んだ末に区議を辞職、映画を勉強することにした。香港を離れるという。「民主派区議」の経歴が、今の社会ではマイナスにしかならないからだ。
「一見すると、香港は平穏になった。でも、抑圧される市民には発散する手立てがない。どういう形か分からないが、いずれ不満が爆発するのではないか」
区議として19カ月間、地域住民の声に耳を傾け続けた冼はこう占った。
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西洋式建築が残る繁華街の一角に、民主派を支持してきたレストランがある。19年のデモ当時は民主派市民らのたまり場だった。
「信念を撃ちぬくことはできない」。店のメニューの余白には今もデモのスローガンが記されている。
店を切り盛りする30代の女性は古き良き香港を振り返る。「香港は西洋と東洋の文化が交じり合ったところ。自らの権利が何かを知りそれを主張する西洋と、ルールを順守する東洋の良さを兼ね備えていた…」
現在は、「愛国者による香港統治」を狙う中国共産党によって自由が奪われ、中国の専制主義が香港を覆いつくそうとしている。
「店で政治の話をする人はもういません。生きるため、生活するために、今は静かにしているんです」
しかし客の中には、店を出るときに小声で「頑張って」「頑張ろう」と言葉を掛ける人もいるという。
19年の区議会選当時とは全く逆の光景が、現在の香港社会に広がっている。偶然ではない。民主主義と専制主義の戦いの最前線となった香港の宿命である。
西洋と東洋の文化は共存できても、民主主義と専制主義の共存はあり得ない。香港人たちが自らの犠牲をもって世界に教えてくれたのは、そのことだ。
自由と民主の〝墓標〟だけが増えていく。
(敬称略)=おわり
筆者:藤本欣也(産経新聞)
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2022年1月16日付産経新聞【香港改造】(全5回)を転載しています